播磨国風土記には、伊和神社(同じ一宮町にあります)に供えていた米飯が濡れてしまったため、庭田神社の裏にある「ぬくい川」で醸したところ、日本酒が出来上がって伊和神社に供えられた、とされているそうです。
古伝(播磨風土記)に大名持大神(大国主大神)が国土経営の大業をなされ伊和の地で最後の交渉を終えられた時、
其の大挙に係はれる諸神を招集へて酒を醸し山河の清庭の地(当社所在地)を選びて慰労のため饗宴をなし給えりし霊跡なるにより、社殿を造り奉りて其の御魂を鎮祭れりと云う。 又当社安永縁起に、人皇十三代成務天皇の御代甲申(131)2月11日は神託により神祠を建て崇敬せらる。 後神功皇の時に殊に霊験有るをもって、本殿及諸殿を造営とあり、社殿の興廃は度重なるも明らかでないが、寛文11年(1663)8月本殿をはじめ修営なるも文久3年(1863)11月に焼失せしにより村民等議りて明治4年(1870)12月に社殿等再建さる。 昭和43年(1968)4月幣殿改築、昭和49年(1974)10月18日御鎮座1800年祭執行記念事業として拝殿及末社等改築落成現在に至る。(兵庫県神社庁HPより) |