天平勝宝元年(749)、少彦名命が村内の福原字神立に天からお降りになり、その夜、村内に大雨が降った。村人は雨があがるのを祈ったところ願いがかない、これに感激して村内字野尻に小社を建て、荒田神社と称したと伝えられている。 あるいは、「播磨国風土記」にみえる天目一箇命、道主日女命を祀った社が当社であるともいわれている。 また、平安時代には坂上田村麿の崇敬を受けたと伝えられているのをはじめ、播磨国二宮として、多くの崇敬を集めてきた。 建物は、檜皮葺流造の本殿と檜皮葺入母屋造の拝殿があり、宝物として剣、古刀、宝鏡などがある。それと、県指定の天然記念物「勅使の杉」があったが、昭和40年(1965)の台風23号の襲来によって倒伏した。(兵庫県神社庁HPより) |